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東京高等裁判所 平成2年(行ケ)203号 判決

東京都新宿区西新宿一丁目二六番二号

原告

コニカ株式会社

右代表者代表取締役

米山高範

右訴訟代理人弁理士

岩間芳雄

東京都千代田区霞ケ関三丁目四番三号

被告

特許庁長官 深沢亘

右訴訟代理人通商産業技官

森田允夫

松木禎夫

伊藤哲夫

同通商産業事務官

廣田米男

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

「特許庁が平成一年審判第一四七二六号事件について平成二年六月一四日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

二  被告

主文同旨の判決

第二  請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告(旧商号 小西六写真工業株式会社)は、昭和五九年七月二八日、名称を「トナー像定着装置」とする発明(以下「本願発明」という。)について、昭和四八年一二月二一日にした特許出願(昭和四八年特許願第七〇八号)から昭和五五年八月二八日に分割出願された特許出願(昭和五五年特許願第一一八八四七号)をさらに分割出願して特許出願(昭和五九年特許願第一五八一〇八号)したところ、昭和六二年九月一一日出願公告(昭和六二年特許出願公告第四三一八三号)されたが、特許異議の申立てがあり、平成元年五月一六日拒絶査定を受けたので、同年九月七日査定不服の審判を請求し、平成一年審判第一四七二六号事件として審理された結果、平成二年六月一四日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年八月二二日原告に送達された。

二  本願発明の要旨

被覆層を有する加熱定着ローラーの近傍に支持体分離部材を配設するとともに、該加熱定着ローラーの表面の一部に該加熱定着ローラーの回転方向と逆方向に摺動可能なように帯状耐熱性部材を帯状耐熱性部材供給ローラーと帯状耐熱性部材回収ローラー間に張設し、かつ、該帯状耐熱性部材を押圧する部材を該加熱定着ローラーと該帯状耐熱性部材の接点に設けたことを特徴とするローラー定着装置」(別紙図面一参照)

三  審決の理由の要点

1  本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。

2  これに対し、米国特許第三、六三七、九七六号明細書(以下「第一引用例」という。)には、被覆層を有する加熱定着ローラー7の表面の一部に、静止している耐熱性のクリーナー8、又は加熱定着ローラー7の回転方向と逆方向に摺動しながら回転するローラー型の耐熱性のクリナー14を設けたローラー定着装置(別紙図面二参照)が記載されている。

また、米国特許第三、六一五、三九七号明細書(以下「第二引用例」という。)には、供給ローラーと回収ローラーとの間に張設したクリーニングウエツブを、圧力定着用のローラー47の表面の一部及び感光体ドラム20の表面の一部に、それぞれ摺動可能なように接触させてそれぞれの残留トナーをクリーニングすること、並びにこのクリーニングウエツブは、圧力定着用のローラー47の回転方向とは同方向に摺動可能なように、また、感光体ドラム20の回転方向とは逆方向に摺動可能なように、それぞれ接触していること(別紙図面三参照)が記載されている。

さらに、昭和四八年特許出願公開第八七八四五号公報(以下「第三引用例」という。)及び昭和四八年特許出願公開第六二四三四号公報(以下「第四引用例」という。)には、それぞれ加熱定着ローラーの近傍に支持体分離部材6又は10を配設することが記載されている。

3  そこで、本願発明と第一引用例記載の発明とを対比すると、両者は、被覆層を有する加熱定着ローラーの表面の一部に、耐熱性のクリーニング部材を設けたローラー定着装置である点で一致しており、次の二点で相違しているものと認められる。

相違点〈1〉 耐熱性のクリーニング部材が、本願発明では加熱定着ローラーの回転方向と逆方向に摺動可能なように帯状部材を帯状部材供給ローラーと帯状部材回収ローラー間に張設し、かつ、該帯状部材を押圧する部材を加熱定着ローラーと帯状部材の接点に設けたものであるのに対して、第一引用例記載の発明では静止しているクリーナー、又は加熱定着ローラーの回転方向と逆方向に摺動しながら回転するローラー型のクリーナーである点

相違点〈2〉 加熱定着ローラーの近傍に、本願発明では支持体分離部材を配設しているものであるのに対して、第一引用例には支持体分離部材について何も記載されていない点

4  前記根違点について検討する。

相違点〈1〉について

本願発明の技術前課題は、本願明細書に記載されているように

〈a〉 トナー支持体から定着時に極少量のトナーが加熱定着ローラーに付着し、支持体が通過した後に圧着ローラーに転移され、複写量に比例してトナーの転移量が増加する。

〈b〉 トナー支持体の裏面に付着してくる少量のトナーが圧着ローラーに付着し、累積する。

〈c〉 圧着ローラーにトナー支持体が巻き込まれる。

という欠点を解決することである。

本願発明は、これらの欠点のうち特に〈a〉の欠点を解決するために、加熱定着ローラーの表面の一部に耐熱性のクリーニング部材を設けたものであり、そのクリーニング部材として帯状耐熱性部材を前記のように張設し、押圧したものであると認められる。

しかしながら、第二引用例には、供給ローラーと回収ローラーとの間に張設して圧力定着用のローラーや感光体ドラムに摺動可能に接触しているクリーニングウエツブからなるクリーニング部材が記載されており、このクリーニングウエツブは、本願発明の帯状部材に相当するものであり、第二引用例記載の発明のクリーニング部材と本願発明のクリーニング部材とに相違するところはない。

そして、第二引用例記載の発明のクリーニング部材は、圧力定着用のローラーに接触してクリーニング作用を行つているものであるが、圧力定着用のローラーによる定着は圧力によつて、また、加熱定着ローラーによる定着は熱と圧力によつて、それぞれトナーを軟化させて複写紙(トナー支持体)に定着しているものであるから、格別の相違があるものとは認められなく、第二引用例記載の発明のクリーニング部材を本願発明のように加熱定着ローラーに設けるようにすることは、当業者が容易に想到し得ることと認められる。

なお、クリーニング部材を加熱定着ローラーの回転方向と逆方向に摺動可能なように設けることは、第二引用例にクリーニング部材をローラーの回転方向と同方向に摺動可能にすること及び逆方向に摺動可能にすることがともに記載されており、かつ、第一引用例に加熱定着ローラーの回転方向と逆方向に摺動しながら回転するローラー型のクリーナーも記載されているので、当業者が容易に採用し得ることと認められる。

相違点〈2〉について

加熱定着ローラーの近傍に、支持体分離部材を配設することは、第三及び第四引用例に記載されているように普通のことであり、格別のこととは認められない。

5  したがつて、本願発明は、第一ないし第四引用例記載の発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものと認められるから、特許法第二九条第二項の規定により特許を受けることができない。

四  審決の取消事由

第一ないし第四引用例に審決認定の技術事項が記載されていること、本願発明と第一引用例記載の発明との一致点及び相違点が審決認定のとおりであることは認め、相違点〈2〉についての審決の判断は争わないが、審決は、相違点〈1〉についての判断を誤つた結果、本願発明は第一ないし第四引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとしたものであるから、違法であつて、取り消されるべきである。

1  審決は、相違点〈1〉について判断するに当たり、「圧力定着用のローラーによる定着は圧力によつて、また、加熱定着ローラーによる定着は熱と圧力によつて、それぞれトナーを軟化させて複写紙(トナー支持体)に定着しているものであるから、格別の相違があるものとは認められな」いと認定している。

しかしながら、本願発明は、本願明細書に記載されているように、密着加熱定着装置に関する(本件特許出願公告公報(以下「本件公報」という。)第一欄第一一行ないし第一五行)ものであり、トナーが融着するに十分な温度に加熱された加熱体にトナー像を直接接触させて定着を行う密着式加熱法を行う加熱ローラー定着装置における問題点を解決する(本件公報第一欄第一六行ないし第三欄第三九行)ものである。

右の熱ローラー定着においては、加熱ローラー温度はトナーを半融・合体させ熱定着させる温度よりもさらに高い温度に設定されており、加熱ローラーに転移したトナーは加熱ローラー上では溶融している。このことは、甲第一四号証(電子写真学会編「電子写真技術の基礎と応用」コロナ社昭和六三年六月一五日発行)の記載事項(第一九二頁第二六行ないし第一九三頁図3.105下第二行、第一九六頁第二行ないし第九行、第一九八頁第七行ないし第一一行、第二〇二頁の図3.112)から明らかであり、本願明細書にも実施例として加熱定着ローラーの表面温度をトナーを十分溶融するに適した温度にすること(本件公報第五欄第三一行ないし第三八行)及び加熱定着ローラー表面に付着したトナーが溶融トナーであること(同欄第四一行、第四二行)が示されている。

これに対し、第二引用例記載の発明は、圧力ローラーの圧力によつてトナーを塑性変形させて圧力定着を行うものであり、トナー像は熱及び圧力のような適当な手段によつてその上に定着されることを観念しながら(第一欄第五行ないし第二六行)、特許請求の範囲においては熱定着を除外し、圧力定着のみに限定した(第五欄第六行ないし第六欄第一七行)ものである。

右の圧力定着は、トナーを熱により軟化させる熱定着と異なり、トナーにトナーの圧縮降伏強さを超えた塑性変形をさせ、トナーを支持体上に定着させる(前掲甲第一四号証の第二〇六頁第二二行ないし第二〇七頁第二行)ものであつて、圧力だけが用いられ、トナーを加熱しない。そのため、トナーは、定着時には押し潰されて変形するが溶融あるいは軟化されることなく固体のままである。第二引用例記載の発明において、圧力ローラー上にあるトナーが粉体であることは、第二引用例に「ドラム20上に残留している粉末をクリーニングする磯能と圧力ロール47上に転移した粉体をクリーニングするこの二つの機能を行う」(第三欄第五行ないし第七行)、「繊維材よりなるウエツブの一面をブレート表面上の粉体残留物に対して使い、他面を圧力装置上に転移された粉体に対して使い」(第六欄第一一行ないし第一四行)と記載されていることから明らかである。

したがつて、本願発明の加熱定着ローラーは熱定着を行うためのものであるのに対し、第二引用例記載の圧力ローラーはトナーを加熱することなく圧力のみを加えて定着を行うものであり、両ローラーへのトナーの付着状態は全く異なつているから、審決の前記認定は誤りである。

この点について、被告は、乙第一ないし第四号証を援用して、圧力定着ローラーによるトナーの定着と加熱定着ローラーによるトナーの定着とではトナーの付着に格別の相違があるとは認められない、と主張する。

しかしながら、乙第一ないし第四号証は審決に引用されていないから、これを補充して審決を正当化することは不当である。

また、審決は、「各ローラーへのトナーの付着に格別の相違があるものとは認められない」との判断の前提として「圧力定着用のローラーによる定着は圧力によつて、また、加熱定着ローラーによる定着は熱と圧力によつて、それぞれトナーを軟化させて複写紙(トナー支持体)に定着している」と認定しているのであるから、両ローラーによる定着によつてもたらされる軟化は同種の軟化でなければならないところ、乙第一ないし第四号証は圧力によつてトナーが軟化することを示すものではなく、また、被告主張のようにトナーが圧力によつて流動する、あるいはやわらかになるという程度のものでは、加熱定着ローラーによる熱によつてもたらされるトナーの軟化(圧力はトナーの軟化に関与しない。)と同種とすることはできない。

被告は、圧力定着ローラーによるトナーの定着も、加熱定着ローラーによるトナーの定着も、ともにトナーを複写紙(トナー支持体)に永続的に固着するためのものであるから、同一の技術分野に属する、と主張するが、両者は定着の原理を異にすることは前記のとおりであり、それ故にローラーの材質及び使用するトナーの特性を異にするものであるから、別異の技術に属するものである。

次に、審決は、第二引用例記載の発明における「クリーニングウエツブは、本願発明の帯状部材に相当するものであり、第二引用例記載の発明のクリーニング部材と本願発明のクリーニング部材とに相違するところはない。」と判断している。

しかしながら、本願発明は、加熱定着ローラー上にある溶融した状態のトナーをクリーニングするための部材であり、耐熱性を有するものである。

これに対し、第二引用例記載のクリーニング部材は、圧力定着用のローラーに移行し又は感光体ドラム上に残留している本来の性状を保つたトナーをクリーニングするための部材であり、耐熱性を有しない。

したがつて、本願発明のクリーニング部材と第二引用例記載のクリーニング部材は、クリーニングする対象及び耐熱性の有無において相違しているから、審決の前記判断は誤りである。

そして、審決は前記の誤つた認定、判断を前提として「第二引用例記載の発明のクリーニング部材を本願発明のように加熱定着ローラーに設けるようにすることは、当業者が容易に想到し得ることと認められる」と判断したのであるから、審決の右判断も誤りであることは明白である。

2  さらに、審決は相違点〈1〉の判断に当たり、「第二引用例にクリーニング部材をローラーの回転方向と同方向に摺動可能にすること及び逆方向に摺動可能にすることがともに記載されており、かつ、第一引用例に加熱定着ローラーの回転方向と逆方向に摺動しながら回転するローラー型のクリーナーも記載されている」ことを理由に、「クリーニング部材を加熱定着ローラーの回転方向と逆方向に摺動可能なように設けることは、当業者が容易に採用し得ることと認められる。」と判断している。

しかしながら、本願発明においては、クリーニング部材は加熱定着ローラーの周面の移動方向とは逆方向に移動するものであり、高いクリーニング性能を得るには逆方向移動が必須である。

これに対し、第二引用例記載の発明においては、感光体ドラムに関してはクリーニング部材の移動方向は感光体ドラムの周面の移動方向と逆であるが、圧力定着ローラーに関してはクリーニング部材の移動方向は圧力定着ローラーの周面の移動方向と同方向である。すなわち、第二引用例記載の発明においては、クリーニング部材の移動方向は同方向、逆方向のいずれでもよく、両者は等機能のものとされている。

したがつて、第二引用例記載の発明に基づいて、クリーニング部材を加熱定着ローラーの回転方向と逆方向に摺動可能なように設けることは、当業者が容易に想到し得たことではないから、審決の前記判断は誤りである。

第三  請求の原因に対する被告の認否及び主張

一  請求の原因一ないし三の事実は認める。

二  同四の審決の取消事由は争う。審決の認定、判断は正当であつて、審決に原告主張の違法は存しない。

1  原告は、本願発明の加熱定着ローラーは熱定着を行うためのものであるのに対し、第二引用例記載の圧力ローラーはトナーを加熱することなく圧力のみを加えて定着を行うものであり、両ローラーヘのトナーの付着状態は全く異なつている、と主張する。

しかしながら、圧力定着法においては、トナーが圧力によつて塑性変形されて定着されるものだけでなく、トナーが圧力によつて軟化して定着されるものも存在する。このことは、乙第一号証(昭和四四年特許出願公告第九八八〇号公報)に圧力定着によつてトナーは流動又は変形すること(第三欄第一八行ないし第二九行)が、乙第二号証(昭和四六年特許出願公告第一五八七六号公報)に圧力定着によつてトナーが流動化され状態を変えること(第七欄第三三行ないし第八欄第一行)が、乙第三号証(昭和四八年特許出願公開第七一六四八号公報)に圧力定着によつてトナー粒子がやわらかくなること(第七頁左上欄第一九行ないし右上欄第四行)が、乙第四号証(昭和四八年特許出願公開第七五〇三二号公報)に圧力定着によつてトナーが著しい流動を示すこと(第九頁左下欄第一一行ないし右下欄第一六行)がそれぞれ記載されていることから明らかである。

圧力定着ローラーによるトナーの定着も、加熱定着ローラーによるトナーの定着も、ともにトナーを複写紙(トナー支持体)に永続的に固着するためのものであるから、同一の技術分野に属し、トナーをローラーに付着しないようにすること、及びローラーに付着したトナーはクリーニング部材によるクリーニングの対象となることにおいて共通しており、両者のトナーの付着に格別の相違があるとは認められない。ただ、細かくみれば両者には使用するトナー成分の相違やトナーの軟化の程度において差異が存在することは当然であるが、本願発明は審決認定の〈a〉の欠点を解決するために、加熱定着ローラーの表面の一部に耐熱性のクリーニング部材を設け、そのクリーニング部材として帯状耐熱性部材を張設し押圧したものであつて、右のような細かい相違を問題にしているのではない。

また、原告は、本願発明のクリーニング部材と第二引用例記載のクリーニング部材は、クリーニングする対象及び耐熱性の有無において相違している、と主張する。

しかしながら、クリーニングの対象となるトナーの付着状態に差異がないことは前記のとおりであり、第二引用例記載のクリーニングウエツプは、帯状部材供給ローラーと帯状部材回収ローラーとの間に張設された帯状部材であつて、ローラー状のものに付着しているトナーをクリーニングする部材である点において本願発明の帯状部材と相違するところがない。そして、第一引用例記載の発明は耐熱性のクリーニング部材を設けたものであつて、この点で本願発明と一致することは既に審決の認定しているところである。

したがつて、第一引用例記載の圧力定着用ローラのローラー型(又は静止型)クリーニング部材に代えて第二引用例記載のクリーニング部材を設け、本願発明のようにすることは、当業者が容易に想到し得たことである。

2  原告は、第二引用例記載の発明に基づいて、クリーニング部材を加熱定着ローラーの回転方向と逆方向に摺動可能なように設けることは、当業者が容易に想到し得たことではない、と主張する。

しかしながら、本願明細書には溶融トナーのクリーニングにおいては高いクリーニング性能を得るために逆方向移動が必須であるとの記載は存しないのみならず、帯状部材の摺動方向は、加熱定着ローラーの回転方向と同方向か逆方向かのいすれか一方向であり、このうち逆方向を採用することは、審決の認定、判断のとおり当業者が容易に採用し得たことである。

第四  証拠関係

証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

第一  請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、同二(本願発明の要旨)及び同三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。

第二  そこで、原告主張の審決の取消事由について判断する。

一  成立に争いのない甲第二号証及び第三号証によれば、本願明細書には本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果について次のように記載されていることが認められる。

1  本願発明は、薄い支持体上に付着保持されたトナー像を支持体上に定着するために用いられるトナー像定着装置、具体的にはトナー像を直接加熱体に接触させて定着を行う密着加熱定着装置に関する(本件公報第一欄第一一行ないし第一五行)。

トナー像の定着方法としてトナー材に熱可塑性樹脂が使用される場合、トナーが融着するに十分な温度に加熱された加熱体にトナー像を直接接触させ、同時に別部材で圧力を加えて定着を行う密着式加熱法が周知であり、内部に加熱用ヒーターを有し外周面にトナーに対して優れた非粘着性を有する材料を全面に被覆した加熱用ローラーと、例えばゴム状弾性体を被覆した圧着ローラーとを設け、その間にトナー像を形成した薄い支持体を通過させることによつて定着を行う加熱ローラー定着法が実用化されている(同第二欄第六行ないし第三欄第二行)。

しかしながら、従来の加熱ローラー定着装置は、〈a〉定着ローラー表面局部の物理的あるいは化学的欠陥によつて定着時に極少量のトナーが定着ローラーに付着し、これが支持体の通過後に圧着ローラーに転移し複写量に比例してトナーの転移量が増加する、〈b〉トナー支持体の裏面に付着した少量のトナーが圧着ローラーに付着し累積する、〈c〉圧着ローラーにトナー支持体が巻き込まれる等の問題があり、その結果比較的短時間の使用で圧着ローラーを清掃しなければならないという欠点がある。また、圧着ローラーを自動的に清掃する方法として米国特許第三七〇六四九一号が知られているが、この方法は機構が極めて複雑になり、清掃時には複写機全体の機構を停止しなければならないという欠点がある(同第三欄第一八行ないし第三七行)。

本願発明は、前記の欠点を一掃することを技術的課題(目的)とする(同第三欄第三八行、第三九行)。

2  本願発明は、前記の技術的課題(目的)を解決するために本願発明の要旨とする特許請求の範囲記載の構成(昭和六三年七月八日付け手続補正書三枚目第三行ないし末行)を採用したものである。

3  本願発明は、前記構成を採用したことにより、「長期間の使用後でも定着装置のローラーにトナーが付着せず極めて耐久性の優れた装置を提供出来る」(本件公報第六欄第三九行ないし第四一行)という作用効果を奏する。

二  第一ないし第四引用例に審決認定の技術事項が記載されていること、及び本願発明と第一引用例記載の発明との一致点、相違点が審決認定のとおりであることは、当事者間に争いがない。

原告は、審決には相違点〈1〉についての判断を誤つた違法があるとし、その理由として、まず、本願発明の加熱定着ローラーは熱定着を行うためのものであるのに対し、第二引用例記載の圧力ローラーはトナーを加熱することなく圧力のみを加えて定着を行うものであり、両ローラーヘのトナーの付着状態は全く異なつているから、「圧力定着用のローラーによる定着は圧力によつて、また、加熱定着ローラーによる定着は熱と圧力によつて、それぞれトナーを軟化させて複写紙(トナー支持体)に定着しているものであるから、格別の相違があるものとは認められな」いとの審決の認定は誤りである、と主張するので、この点について検討する。

本願発明は密着加熱定着装置に関するものであつて、該装置による熱定着方式は、加熱定着ローラーと圧着ローラーとの組み合せによつてトナーの軟化と複写紙へのトナーの押しつけを行うものであることは前記一1認定の本願明細書の記載から明らかであるから、本願発明のような「加熱定着ローラーによる定着は熱と圧力によつてトナーを軟化させて複写紙に定着しているものである」とした審決の認定には誤りはない。

一方、第二引用例記載の発明は圧力定着装置に関するものであつて、該装置による圧力定着方式は、圧力定着用ローラーによる圧力によつてトナーを複写紙に定着させるものであるが、成立に争いのない甲第五号証を検討しても、トナーが定着時どのような状態にあるかについての直接の記載はない。

そこで、本件出願時の技術水準に基づいて圧力定着方式によるトナーの定着時の性状について検討すると、成立に争いのない乙第二号証(昭和四六年特許出願公告第一五八七六号公報)によれば、右公報記載の発明は、小さな弾性を持つロールと比較的弾性を持たないロールにより印加される圧力を用いるが熱を用いないトナーの定着方式についての発明であつて、右公報には、圧力定着方式において用いられるトナーの一般的性状について「本発明に関して行つた実験はロール係合部の或る計算された最大圧力は与えられたトナーの適正な融着を保証するために必要なこと、及びこの圧力は主にトナー材料の性質に関係していることを示した。既に述べたように現在一般に使用されているトナーでは定着を確実にするため少なくとも5000psi(352kg/cm2)の計算された最大圧力が必要である。ここで言う定着とはトナー樹脂が流動化されて相互に及び基体に付着するに十分なようにトナー樹脂の状態を変えることを意味している。これはおそらく機械的作用も定着に対して若干の役割を荷うかも知れないが、主にトナー材料内に圧力による温度上昇が起こるためであろう。」(第七欄第三三行ないし第八欄第一行)と記載されていることが認められる。

右記載事項によれば、圧力定着方式によるトナーの定着時圧力が加えられたことに起因した温度上昇により、トナー樹脂は、固体と見えた粉体が流動化し、互いに付着し、あたかもやわらかい物であるかのような現象を呈することが明らかである。そして、一般に「軟化」という用語は固い物がやわらかになることを意味するから、圧力定着用のローラーによる定着は圧力によつてトナーを軟化させて複写紙(トナー支持体)に定着しているということができる。

原告は、乙第二号証は審決に引用されていないから、これを補充して審決を正当化することは不当である旨主張するが、出願当時の技術水準に基づいて特許出願拒絶の理由として引用された刊行物に記載の技術的事項を理解するために審決の引用していない技術文献を参酌することは許されることであつて、これを不当とする理由はない。

また、原告は、甲第一四号証の記載事項を援用して、第二引用例記載の発明における圧力定着は、トナーを熱により軟化させる熱定着と異なり、トナーにトナーの圧縮降伏強さを超えた塑性変形をさせ、トナーを支持体上に定着させるものである旨主張する。

成立に争いのない甲第一四号証(電子写真学会編「電子写真技術の基礎と応用」)によれぱ、右技術文献には原告主張の趣旨の記載(第二〇六頁第二二行ないし第二〇七頁第二行)が存することが認められるが、同文献は本件出願時(昭和四八年一二月二一日)より一四年余経過した昭和六三年六月一五日に発行されたもので本件出願当時の技術水準を理解するためこれを参酌することは相当でないだけでなく、前掲乙第二号証の記載事項に照らし、圧力定着方式において用いるトナー樹脂に高圧力が加わつた場合トナー樹脂が流動化して一見してトナーに熱を加えたときに現れる軟化に類似した現象を呈すると認められ、甲第一四号証の前記記載事項もこのことを「塑性変形」という言葉で説明したものと理解できないではなく、甲第一四号証の記載事項を根拠にして圧力定着方式においてはトナーは軟化しないということはできない。

さらに、原告は、第二引用例記載の発明において、圧力ローラー上にあるトナーが粉体であることは、第二引用例に「ドラム20上に残留している粉末をクリーニングする機能と圧力ロール47上に転移した粉体をクリーニングするこの二つの機能を行う」(第三欄第五行ないし第七行)、「繊維材よりなるウエツブの一面をプレート表面上の粉体残留物に対して使い、他面を圧力装置上に転移された粉体に対して使い」(第六欄第一一行ないし第一四行)と記載されていることから明らかである旨主張する。

前掲甲第五号証によれば、第二引用例には原告主張の記載が存することが認められるが、圧力定着方式において用いるトナー樹脂は圧力によつてトナー樹脂が流動化して軟化といえる現象を呈すること前述のとおりであるから、圧力を受けた後のトナーが個々に分散した粉末としての形状、性状を保つているとは考えられない。しかも、前掲甲第五号証によれば、第二引用例には前記記載の前に、「現像されたゼログラフ粉体画像は、通常支持表面に転写され、熱及び圧力のような適当な手段によつてその上に定着される。この一運の操作に付随して、また粉体画像の転写の後、除去されない現像物質の残留物が通常プレート上に画像の形をして残る。この残留物は、一般に「残留粉体画像」と呼ばれている。」(第一欄第二四行ないし第三〇行)と記載されていることが認められ、右記載事項によれば第二引用例においては、定着後、ローラーに付着したトナーが粉体としての形状、性状を保つものでないことが明らかな熱定着方式の場合も含めて残留粉体画像と呼んでいるものと理解されるから、第二引用例にいう「粉体」という用語は、本来の粉体、すなわち個々に分散した粉体としての形状、性状を保つものを表しているとは限らないとみるべきであり、原告の前記主張は採用の限りではない。

したがつて、「圧力定着用のローラーによる定着は圧力によつてトナーを軟化させて複写紙(トナー支持体)に定着している」とした審決の認定に誤りはない。

もつとも、熱定着方式においては、加熱定着ローラー上に転移したトナーについてみれば、用紙側よりも高い熱を受けることが明らかであるから、溶融状態にあると見られるのに対し、圧力定着方式においては圧力ローラーの圧力を受けたトナーは流動化するものの溶融状態、すなわち液に近い状態になることはないが、両方式とも定着工程において熱又は圧力によつて軟化したトナーがローラーに付着するという点においては共通しており、その意味において両方式について各ローラーヘのトナーの付着に「格別の相違があるものとは認められな」いとした審決の認定に誤りはない。

そして、一般に物体表面に付着した異物をクリーニングするために、布等の繊維からなるクリーニング部材をその表面に押しつけ、両者を相対的に摺動させ、表面に付着した汚れをふき取ることは技術常識であり、ごく普通に行われていることである。この場合、付着している汚れが固体であると、液体であるとを問わず、クリーニング部材によつて表面を拭き掃除しているにすぎない。

本願発明におけるクリーニング部材である帯状耐熱性部材が加熱定着ローラー上に付着している溶融したトナーをクリーニングする構成も、第二引用例記載の発明におけるクリーニングウエツブが圧力定着ローラー上に付着している軟化したトナーをクリーニングする構成も、クリーニング部材によつて表面に付着した汚れを拭き掃除するものである点において共通しており、第二引用例記載のクリーニングウエツブは本願発明の帯状耐熱性部材に相当するものである。

したがつて、第一引用例記載の発明において、そのローラー型のクリーナーに代えて第二引用例記載のクリーニング部材を適用してこれを帯状部材供給ローラーと同回収ローラーの間に張設することは、当業者であれば容易に想到できたことと認められる。

この点について、原告は、本願発明は、加熱定着ローラー上にある溶融した状態のトナーをクリーニングするための部材であり、耐熱性を有するものであるのに対し、第二引用例記載のクリーニング部材は、圧力定着用のローラーに移行し又は感光体ドラム上に残留している本来の性状を保つたトナーをクリーニングするための部材であり、耐熱性を有しないから、第二引用例記載の発明における「クリーニングウエツブは、本願発明の帯状部材に相当するものであり、第二引用例記載の発明のクリーニング部材と本願発明のクリーニング部材とに相違するところはない。」との審決の判断は誤りである旨主張する。

しかしながら、本願発明の熱定着方式及び第二引用例記載の発明の圧力定着方式は、ともに定着工程において熱又は圧力によつて軟化したトナーがローラーに付着するという点においては共通しており、その意味において両方式について各ローラーヘのトナーの付着に格別の相違はなく、また、クリーニング部材によつて表面に付着した汚れを拭き掃除するものである点において共通しており、第二引用例記載のクリーニングウエツブは本願発明の帯状部材に相当すること前述のとおりである。そして、クリーニング部材の材質は、本願発明が耐熱性であるのに対し、第二引用例記載の発明はそのようなものでない点において相違するが、この相違は前者が熱定着方式であるのに対し、後者が圧力定着方式であることによるものであつて、熱定着方式におけるクリーニング部材として耐熱性のものを使用することは第一引用例に記載されているから、第一引用例記載の発明において、そのクリーニング部材として第二引用例記載のクリーニングウエツブを適用するに当たり、これを耐熱性とすることは当然のことにすぎない。したがつて、原告の前記主張は採用できない。

なお、原告は本願発明と第二引用例記載の発明とは定着の原理を異にし、これ故にローラーの材質及び使用するトナーの特性を異にするから、別異の技術分野に属する旨主張するが、両者は定着方式において熱定着方式のものであるか、圧力定着方式のものであるかという相違はあつても、いずれも電子写真装置の定着装置であり、用紙等の画像支持体上に転写され静電気や分散力によつて付着しているトナー粉体画像を通常の取扱いを受けても変形、移動が生じないように支持体上に固定するためのものである点において共通した技術であるから、技術分野を異にするとはいえない。

三  次に、原告は、相違点〈1〉について審決の判断に誤りがある理由として、本願発明においては、クリーニング部材は加熱定着ローラーの周面の移動方向とは逆方向に移動するものであり、高いクリーニング性能を得るには逆方向移動が必須であるのに対し、第二引用例記載の発明においては、クリーニング部材の移動方向は同方向、逆方向のいずれでもよく、両者は等機能のものとされているから、第二引用例記載の発明に基づいて、クリーニング部材を加熱定着ローラーの回転方向と逆方向に摺動可能なように設けることは、当業者が容易に想到し得たことではない、と主張する。

しかしながら、第二引用例には、感光体ドラム20に付着したトナーの拭き掃除を行うため感光体ドラム20の回転方向とは逆方向に摺動可能にクリーニングウエツブを接触させることが記載されており、また、第一引用例には、加熱定着ローラーの回転方向と逆方向に摺動しながら回転するローラー型のクリーナーも記載されていることは当事者間に争いがない。そして、一般に回転体の表面に付着した汚れを拭き取るため回転体の回転方向とは逆方向に摺動可能にクリーニング部材を接触させることは、むしろ技術上当然のことであつて、第一引用例記載の発明において第二引用例記載のクリーニング部材を採用し加熱定着ローラーの回転方向と逆方向に摺動可能なように設けた場合にこれを溶融トナーの拭き掃除に使用できないとする根拠は存しない。

したがつて、「クリーニング部材を加熱定着ローラーの回転方向と逆方向に摺動可能なように設けることは、(中略)当業者が容易に採用し得ることと認められる。」とした審決の判断に誤りはない。

四  以上のとおりであつて、第一引用例記載の発明において、第二引用例記載のクリーニング部材を適用し、相違点〈1〉に係る本願発明の構成を得ることは、当業者が容易に想到し得たことというべきであるから、審決に原告主張の違法は存しない。

第三  よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条の各規定を適用して主文 とおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 佐藤修市)

別紙図面一

〈省略〉

別紙図面二

〈省略〉

別紙図面三

〈省略〉

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